今の時代、スケボーは「遊び」じゃなくなってきている
平和な日本だからこそ、遊びが監視される時代
最近、本当に時代が変わったなと思います。
昔は、多少怒られながらも、子供たちは自由に遊んでいました。
木登りをしたり、空き地を走り回ったり、川で遊んだり、自転車で遠くまで行ったり。
危ないこともあったし、うるさいと言われることもあった。
でも、その中で経験をして、人との距離感を覚えて、成長していたと思います。
だけど今はどうでしょうか。
防犯カメラはどこにでもあり、SNSですぐに拡散され、誰か一人が「危ない」「迷惑だ」と言えば、すぐ通報される。
日本が平和だからこそ、スケートボードのような“遊び”や“ストリートカルチャー”が、必要以上に目立つ時代になってきました。
都内の公園では、サッカー禁止、キャッチボール禁止、スケボー禁止。
昔は普通だったことが、どんどん禁止されていく。
100人が「別にいいじゃん」と思っていても、たった1人のクレームで噴水が使えなくなったり、ベンチが撤去されたり、子供たちの遊び場そのものが消えていく。
そんな空気が当たり前になってきています。
「スケボー禁止」の看板が増えるたびに思うこと
最近は、一人の極端なクレームによって「スケボー禁止」の看板が立つ場所も増えています。
本来なら、休日に親子でピクニックをしながら、子供がスケボーをして、お父さんお母さんが笑って見ている。
そんな平和な光景があるはずなのに、それすら難しくなってきています。
しかも、その看板が立つことで、今度は気の弱い人まで急に強気になる。
「禁止って書いてあるだろ」
と、理由や背景も知らず、頭ごなしに言ってくる。
もちろん、その人たちもルールを守ろうとしているだけなのかもしれません。
でも、会話もなく、背景も見ず、ただ“禁止”という言葉だけを武器にして、人を追い払う空気が強くなっている気がします。
なんというか、余裕がなくなっている。
人が人を監視して、少しでもはみ出したら排除する。
そんな息苦しい世の中になってきたなと思います。
本当に禁止すべきなのは何なのか?
もちろん、大人数で騒ぎすぎたり、夜中にうるさかったり、ゴミを散らかしたり、マナーが悪いケースがあるのも事実です。
だから全部が全部正しいとは言いません。
実際に、迷惑をかけてしまっているスケーターもいる。
それはちゃんと考えないといけない。
でも、本当に必要なのは、
「器物破損禁止」
「迷惑行為禁止」
であって、最初から“スケボー禁止”にすることなのか?と思います。
スケボーそのものが悪いわけではない。
使い方や時間帯、周囲への配慮の問題も大きいはずです。
なのに、全部まとめて禁止。
それって、あまりにも簡単すぎる解決方法じゃないかと思います。
小学生や保育園の子供たちが、お父さんやお母さんと一緒に笑いながら滑っている。
そんな光景を、いちいち注意して排除するような社会には、なってほしくない。
子供が外で遊ぶことすら難しくなり、ゲームやスマホばかりになる。
でも外で遊べば「うるさい」「危ない」と言われる。
これじゃ、子供たちの自由も感性も、どんどん狭くなってしまう気がします。
今の時代は、簡単に身元が追える
そして今は、昔よりもはるかに“追跡される時代”です。
実際に、ストリートで滑っていて近くに停めた車のナンバーから身元を特定され、弁償問題まで発展したケースもあります。
だから、車で行く場合は少し離れた場所に停めるなど、自分を守る行動も必要だと思います。
また、友人のグラフィティライターは、移動に使っていたSUICAの履歴から身元が割れ、家に警察が来たこともありました。
スマホ、交通履歴、防犯カメラ、SNS。
今の時代、「ちょっとした行動」が簡単につながってしまう。
昔みたいに、“なんとなく自由”ではいられない時代なのかもしれません。
それでも、ストリートには夢がある
もちろん、迷惑をかけたいわけじゃない。
ただ、自分の夢や表現、仲間との時間、人生を懸けて本気でやっている人たちがいる。
スケボーも、音楽も、グラフィティも、ファッションも、全部そう。
誰かに与えられたものじゃなく、自分たちで見つけて、自分たちで作ってきたカルチャーです。
でも今は、少し目立っただけで排除される。
少し音がしただけで通報される。
少し自由にしているだけで、“悪いこと”みたいに見られる。
それが今の“平和な日本”なのかもしれません。
だけど、自分はそんな時代でも、ストリートの自由や表現を消したくないと思っています。
だからこそ、みんなには気をつけて行動してほしい。
無駄に敵を作らないこと。
周囲への配慮を忘れないこと。
そして、自分たちのカルチャーを守るためにも、賢く動くこと。
自由は、勝手に残るものじゃない。
ちゃんと考えて行動しないと、簡単に消えてしまう時代です。
それでも、自分はストリートで生まれる自由や表現を、絶やしてほしくないと思っています。
