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子どもの「好き」を、親はどこまで背中を押してあげればいいんだろう

子どもの「好き」を、親はどこまで背中を押してあげればいいんだろう

ふと、子どものことについて考えました。

自分の子どもはかわいい。

頑張ってほしいし、幸せになってほしいし、できることなら将来何かを成し遂げてほしい。

たぶん、多くの親が同じように思っていると思います。

でも子育てをしていると、すごく難しい問題があります。

それは、

親が「この子のために」と思っていることと、子ども自身が本当にやりたいことが、必ずしも同じではない。

ということです。

最近、Grafferに来ている子どもたちを見ていて、そんなことを考えるようになりました。

学校には行けなくても、スケボーなら朝から動ける

Grafferには、スケボーが本当に大好きな子がいます。

学校にはなかなか行けない。

学校の日は朝起きるのも大変。

嫌なことには気持ちが向かず、なかなか動き出せない。

でもスケボーの日は全然違います。

親を起こして「早く行こう」と言う

朝早くから起きて、むしろ親を起こして、

「早く行こう」

と言うくらいです。

スクールに入っているわけでもありません。

月パスでGrafferに来て、朝から晩までずっと滑っています。

誰かに練習しろと言われるわけでもない。

でも勝手に練習する。

転んでもまたやる。

できない技を何度も何度もやる。

そして、ちゃんとうまくなっていく。

その姿を見ると、

人間って、本当に好きなことならこんなに動けるんだな

と思います。

「そこまで好きなら応援するよ」でもいいんじゃないか

もちろん、それぞれの家庭には事情があります。

教育方針も違う。

経済状況も違う。

外から見ている僕には分からないこともたくさんあります。

なので、誰かの家庭について「正しい」「間違っている」と言いたいわけではありません。

ただ、子どもがここまで夢中になっているものがあったら、

少しだけでも背中を押してあげてもいいんじゃないかな

と思うことがあります。

何でも買ってあげるという意味ではない

新しい板。

新しいシューズ。

スクール。

大会。

遠征。

もちろん全部を与えればいいという話ではありません。

でも、

「そんなに好きなら一回やってみろよ」

「そこまで頑張るなら応援するよ」

と、大人が言ってあげる。

それだけでも、子どもにとってはかなり大きいと思います。

自分の子どもの頃を思い出した

その子を見ていると、自分の子どもの頃を思い出します。

僕は中学生からスケボーを始めました。

今45歳なので、30年以上やっていることになります。

当時からスケボーが大好きでした。

でも中学生だからお金はない。

板も靴も買えなかった

板も買えない。

シューズも買えない。

洋服も買えない。

当時は今以上に、

「スケボー=不良の遊び」

というイメージも強かったです。

学校でも禁止されていました。

だから親から、

「スケボー頑張れよ」

と背中を押してもらった記憶は、ほとんどありません。

誰かが使った中古の板をもらったり、

グーフィーの子からシューズをもらったり、

ボロボロの洋服で滑っていました。

母親が陰で助けてくれたことは、今でもよく覚えています。

親がやらせたいことにはお金を使ってくれた

一方で、

塾。

ピアノ。

水泳。

勉強。

図鑑。

教科書。

そういうものには、お金をかけてもらった記憶があります。

つまり、

僕がやりたいことというより、親が「やったほうがいい」と思っていたこと

には投資してくれていたんだと思います。

今、自分も親になったので、その気持ちも分かります。

子どもに安定した生活をしてほしい。

苦労してほしくない。

ちゃんとした大人になってほしい。

だから、

「将来役に立ちそうなもの」

にお金を使いたくなる。

これは親としてすごく自然なことだと思います。

でも僕が本当にやりたかったのはスケボーだった

ただ、当時の僕が本当にやりたかったのは、

塾でも、

ピアノでも、

水泳でもなく、

スケボーでした。

だから、どこかでずっと反発していたんだと思います。

抑えられるほど、やりたくなった

「俺はこれをやりたいんだ」

という気持ちがあった。

抑えられれば抑えられるほど、逆に強くなっていった。

高校生の頃にはかなり反抗期になりましたし、

18歳になったら家を出ました。

でもスケボーだけはやめませんでした。

今考えると、

お金がなかったこと。

反対されたこと。

欲しいものを簡単に買ってもらえなかったこと。

その悔しさが、

「絶対にスケボーを続ける」

というエネルギーになった部分もあると思います。

だから子育てって、本当に難しい

ここがすごく複雑です。

もし僕が子どもの頃、

何でも買ってもらえて、

何でも自由にやらせてもらっていたら、

今の自分になっていたかは分かりません。

逆に、親から抑えられたことで、

間違った方向へ行っていた可能性もあります。

たまたま僕の場合は、

反発がスケボーや仕事へのエネルギーに変わった。

それだけなのかもしれません。

『ピアノの森』を読んでいると、このことをすごく考える

この話を考えていると、僕が好きな漫画の一つ、

一色まこと先生の『ピアノの森』

を思い出します。

まだ読んだことがない人には、本当におすすめです。

主人公の一ノ瀬海は、森に捨てられたピアノをおもちゃ代わりにして育った少年です。

最初は楽譜も読めません。

でもピアノを弾くこと自体が好き。

そこに、かつて天才ピアニストだった阿字野壮介や、ピアニストの父を持つ雨宮修平との出会いが加わり、人生が大きく動いていきます。

やがて海はショパン国際ピアノコンクールという大きな舞台にも進んでいきます。

「恵まれている」と「幸せ」は同じじゃない

この漫画の面白いところは、

海だけを描いているわけではないところです。

雨宮修平は、ピアニストの父を持ち、子どもの頃から専門的な教育を受けています。

一方で海は、森の中に放置されたピアノを勝手に弾いているような子です。

環境だけ比べたら、雨宮のほうが圧倒的に恵まれているように見える。

でも、

音楽を自由に楽しむこと

という部分では、海のほうがずっと自由なんですよね。

だから二人を見ていると、

「子どもに最高の環境を用意すること」と、

「子どもが本当に好きなものを自由に好きでいられること」

は別なんだなと思います。

才能を作るのではなく、才能に気づく大人

そして僕が『ピアノの森』ですごく好きなのは阿字野先生です。

阿字野は、海に

「お前はこれをやれ」

と自分の人生を押し付けるというより、

海の中にすでにあるものに気づいて、その可能性を広げていく大人

として描かれています。

僕はそこが、子育てにもすごく通じると思っています。

親が才能を作ってあげるわけではない。

本人の中にあるものを見つけて、

「それ、面白いじゃん」

「もっとやってみたら?」

と背中を押してあげる。

これくらいでもいいのかもしれません。

親が用意したレールより、本人が見つけた道

親になると、

どうしても子どもの人生を先回りしたくなります。

「これをやったほうがいい」

「こっちに行ったほうが安全」

「それは将来役に立たない」

と言いたくなる。

でも、子ども自身が見つけた道って、ものすごく強い。

Grafferの子を見ていてもそうです。

誰にもやれと言われていないのに、

朝起きて、

スケボーを持って、

一日中練習している。

これは相当な力です。

勉強でもスポーツでも、

「やらされる1時間」と、

「自分からやる1時間」は、

たぶん全然違うと思います。

甘やかすことと、背中を押すことは違う

ここは勘違いしやすいところだと思います。

子どもの好きなことを応援することは、

何でも買ってあげることではありません。

何でも言うことを聞くことでもありません。

「自分で決めて、自分でやる」を応援する

僕がいいと思うのは、

自分で決めて、自分で挑戦して、自分で失敗する。

その環境を作ってあげることです。

欲しいなら、

「じゃあどうしたら手に入るか考えよう」

でもいい。

大会に出たいなら、

「じゃあそこまで練習してみよう」

でもいい。

ただ与えるだけではなく、

本人が動く。

その動きを親が支える。

それが一番いいのかもしれません。

甘えられる力も大事なんじゃないかと思う

僕の周りに、仕事ですごく活躍している友人がいます。

その人は子どもの頃、かなり自由に育ててもらったそうです。

好きなことを応援してもらい、

欲しいものもある程度与えてもらい、

自分の意見を言える環境で育った。

その人を見ていると、

大人になった今でも、

人にお願いするのがすごく上手です。

「これやりたい」

「手伝ってほしい」

「これは嫌だ」

とちゃんと言える。

僕は、この能力ってかなり重要だと思っています。

「助けて」「嫌だ」「やりたい」が言えること

人に助けてと言える。

嫌なものに嫌だと言える。

やめてほしいときに、やめてと言える。

やりたいことを、やりたいと言える。

子どもの頃から、

自分の気持ちを言っても大丈夫だった

という経験があると、

こういう力につながる部分もあるんじゃないかなと思います。

不登校については簡単には言えない

もちろん、不登校には本当にいろいろな理由があります。

人間関係。

学校の環境。

本人の特性。

心身の状態。

家庭の状況。

だから、

「好きなことをやらせたら学校に行く」

なんて単純な話ではありません。

でも、

学校には行けなくても、

スケボーなら朝から晩までできる子を見ると、

僕はこう思います。

この子にはちゃんとエネルギーがある。

その力をまず認めてあげてもいいんじゃないか。

「お前、本当にスケボー好きなんだな」

と。

そこから本人の自信につながることもあると思います。

与えすぎてもダメ。与えなさすぎてもダメ

結局ここなんでしょうね。

与えすぎてもダメ。

与えなさすぎてもダメ。

放っておきすぎてもダメ。

親が決めすぎてもダメ。

難しすぎます(笑)。

子育てに完全な正解なんてないんだと思います。

僕自身、今は親です。

だから、

昔は理解できなかった自分の親の気持ちも、

今なら少し分かります。

子どもに苦労してほしくない。

間違った方向へ行ってほしくない。

だからつい口を出したくなる。

でも、

親が考える「正しい人生」と、子どもが幸せを感じる人生は、必ずしも同じじゃない。

そこは忘れたくないと思っています。

子どもの背中を「プッシュ」できる親になりたい

スケボーでは、

最初に地面を蹴って進むことを

「プッシュ」

と言います。

子育ても少し似ているのかもしれません。

親がずっと押してあげることはできません。

最後は自分で進むしかない。

転ぶのも本人。

立ち上がるのも本人。

進む方向を決めるのも本人です。

最初の一歩だけ押してあげる

でも子どもが、

「これをやってみたい」

と言ったとき。

最初の一歩を、

ポンッと押してあげる。

その一回のプッシュが、

その子の人生を大きく変えることもあるかもしれません。

僕自身は、親への反発もエネルギーにしながらここまで来ました。

でも自分の子どもには、

反発しなければ夢を追えない環境ではなく、

「これやってみたい」

と普通に言える環境を作ってあげたい。

全部は叶えてあげられない。

失敗もしてほしい。

我慢も覚えてほしい。

嫌なことでも頑張らなければいけない場面は絶対にある。

でも、

本当に夢中になれるものを見つけたときには、

「いいじゃん。やってみなよ」

と言ってあげたい。

親の仕事は、子どもの人生を決めることではないのかもしれない

『ピアノの森』の海も、

誰かにピアノを弾けと言われたから弾き始めたわけではありません。

最初から、

ただピアノが好きだった。

そこに、

その才能を見つけてくれる大人が現れた。

それだけで人生が広がっていった。

僕は子育ても、

案外そういうことなのかもしれないと思っています。

子どもの人生を親が作るのではなく、

子どもが自分で見つけたものを、

大人が見逃さない。

そして必要なときに、

少しだけ背中を押す。

Grafferでも、自分の家庭でも、

そんな大人でいたいと思います。

子育てって、マジで難しい。

でもだからこそ、

子どもが何に目を輝かせているのかをよく見ながら、

一緒に成長を楽しんでいきたいです。

そして、

その子が自分の人生を自分で走り出す瞬間に、

最初の一回だけ、

気持ちよく「プッシュ」してあげられる親でありたいと思っています。

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