自分に投資した20年前の話

2026年の今、20年前のバルセロナを思い出す

2026年。

今、俺は45歳。

ということは――

あのバルセロナトリップから、ちょうど20年。

24歳か25歳。

人生で一番、勢いと野心があった頃かもしれない。

映像を見返すと、若い。細い。怖いもの知らず。

でもあの時の目は、間違いなく本気だった。


2006年、まだバルセロナが“特別”だった頃

今でこそバルセロナはスケーターの聖地。

でも2006年当時は、まだ今ほど当たり前の場所じゃなかった。

コスタリカから来たフィルマーの朝田こうじ。

そしてそうそうたるメンツ。

俺たちはアパートを1ヶ月借りて、

生活しながら、毎日スケートセッションをした。

サグラダ・ファミリア。

石畳の路地。

乾いた空気。

夏だったから、夜10時でもまだ明るい。

その光景が本当に衝撃だった。

アジア人はほぼいない。

日本人なんてまずいない。

街を滑っているのは、俺たちだけ。

完全に異世界だった。


朝から夜まで、ただ滑る

この時はまだ、

「スケートでかましたい」

その気持ちがすべてだった。

夜遊びよりも、

朝早く起きる。

朝食をとる。

まだ日差しが強くなる前に街へ出る。

一日中滑る。

転ぶ。

立ち上がる。

また挑戦する。

強い日差し。

汗だく。

言葉が通じない国。

でも不思議と、怖さよりワクワクの方が勝っていた。


Lesque誕生前

まだLesqueは結成されていなかった。

でも――

俺、荒畑潤一、朝田こうじの3人で

ブランドをやることはもう決まっていた。

「自分たちのブランドを作る」

スポンサーを待つんじゃない。

自分たちで作る。

その覚悟は、すでにあった。

だからこの旅は、ただのトリップじゃない。

仲間探しでもあった。

気の合うメンツと1ヶ月生活してみる。

一緒に滑る。

一緒に飯を食う。

一緒に笑う。

「誰なら一緒に夢を追えるか」

それを本気で考えていた。

最前線の浦友和。

宮島大介。

今それぞれ違う道で活躍しているけど、

あの時はみんな同じ“夢の途中”にいた。


自分に投資するということ

俺は有名なスケーターたちに付いていくために、

自分でお金をため、ついていった。

誰かに呼ばれたわけじゃない。

スポンサーが出してくれたわけでもない。

「行きたいから行く」

そのために働いた。

そして現場で、自分のスキルを出す。

認められるかどうかは、自分次第。

あの時の経験は、間違いなく“自分への投資”だった。

あの1ヶ月がなかったら、

今の自分はいないと思う。


映像が残すもの

20年経っても、映像を見ると全部蘇る。

あの空気。

あの匂い。

あの悔しさ。

あの達成感。

若い自分に言いたい。

「ちゃんとやってたよ」って。

記録って大事だ。

思い出は、残さないと消える。

でも映像があれば、またあの時に戻れる。


ヤングたちへ

今の時代、効率も大事だし、無駄を省くのも大事。

でも言わせてほしい。

無駄の中に、人生を変える出会いがある。

飲み会に行くか行かないか。

遠征に行くか行かないか。

お金を出すか出さないか。

その小さな選択が、未来を分ける。

チャンスは、待っていても来ない。

自分で稼いで、

自分で動いて、

自分で掴みにいく。

誰かにフックアップされるのを待つな。

自分から行け。

そして、なるべく早く失敗しろ。

スケートで学んだだろ?

転んで、立ち上がる。

できるまでやる。

あの感覚は、人生にも通用する。

お金は後からついてくる。

でも経験は、その瞬間しか手に入らない。


一生の宝物

バルセロナで出会った仲間たち。

あの1ヶ月は、一生の宝物。

そして、この作品を作ってくれた

朝田こうじに心から感謝しています。

あの映像があるから、

今こうして振り返れる。

20年前のあの挑戦が、

今の自分を作っている。


青春って、後から気づく。

「あれが青春だったんだな」って。

だから今滑っているヤングたちへ。

思い出を作れ。

挑戦しろ。

自分に投資しろ。

そして記録しろ。

20年後、きっと笑って見返せるから。

YouTube貼っておくので、

ぜひ時間があるときに見てみてください。

若い俺たち、なかなか本気で滑ってます。

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