ストリートか、パークか。今の時代のスケートボードについて
今、スケートボードは「ストリートか、パークか」という選択を、無意識のうちに迫られる時代に入ってきていると感じています。
特に東京ではそれが顕著で、昔のように気軽にストリートで滑れる空気は、正直ほとんどなくなってきました。
監視カメラは増え、通報されるスピードも早い。怒られるだけならまだしも、破損や弁償、警察や警備員とのトラブルに発展するケースも珍しくありません。
これは感情論ではなく、現実としてリスクが大きくなっているという話です。
だからといって、「じゃあストリートは終わりなのか?」と聞かれたら、僕はそうは思っていません。
なぜなら、スケートボードの本質的なかっこよさは、今の時代“映像や写真として残すこと”と、より強く結びついているからです。
ただし、出来たばかりの建物や、明らかに目立つ場所、無理をしないと成立しないストリートスポットを攻めることは、今の時代かなり危険です。
昔と同じ感覚でやってしまうと、スケートボードそのものが嫌われる結果にもなりかねません。
スケートボードは「テニス化」している
今のスケートボードを見ていて、僕はよく「テニス化している」と感じます。
オリンピック競技になり、コンテストを中心とした評価軸が強くなり、全体的にとてもクリーンでスポーツ的なイメージが定着しました。
これは間違いなく良い側面もあります。
社会的な認知が広がり、キッズが安心して始められる環境が整い、家族や学校からも理解されやすくなった。
でも一方で、スケートボードが本来持っていた“はみ出し感”や“ノイズ”が、少しずつ見えづらくなっている気もします。
僕が中学生の頃、スケートボードはもっと不良の遊びでした。
先輩たちはタバコを吸い、酒を飲み、バイクを乗り回して。今思えばめちゃくちゃですが、その中にあった楽しさ、自由さ、仲間と過ごす時間を通して、僕はスケートボードの魅力を教えてもらいました。
気づけばもう30年近く、形は変わっても、今でもスケートボードを続けています。
活躍できるのは、ほんの一部
今は小学生や中学生で、コンテストに出て活躍している子もたくさんいます。
SNSや動画を見ていると、「スケートボード=結果を出すもの」という印象を受ける人も多いかもしれません。
でも、少し立ち止まって考えてみてほしい。
活躍できるのは、ほんの一部です。
スケートボードも定年化が進み、キッズが溢れている今の時代でも、人は必ず大人になっていきます。
上を目指し続ける人もいれば、どこかで挫折する人もいる。それは悪いことではなく、ごく自然な流れだと思っています。
挫折の先にある「かっこよさ」
コンテストで結果が出なかった人たちは、パフォーマンスや順位ではなく、“かっこよさ”を追求する方向に進んでいくことが多いと僕は思っています。
それは、映像や写真、撮影する場所、トリックの難易度、そしてスタイル。
誰かに点数をつけられるのではなく、自分が納得できるかどうか。
それを自己表現として残していくことが、もう一つのスケートボードの形です。
コンテストやオフィシャルな枠から外れることで縛りがなくなり、本来スケートボードが持っている自由さや遊び心が、より際立っていく。
そこに魅力を感じて、長く続けていく人たちも、確実に存在します。
高校生になったら、街に出る
高校生くらいになると、「かっこよくなりたい」「モテたい」という気持ちも自然と出てきます。
でもお金はないし、パークに通う頻度も減ってくる。
そうなると自然に、街に出て、仲間とたまり、ワイワイしながらスケートボードと向き合う時間が増えていく。
転びながら笑って、成功したらみんなで騒いで、何気ない時間を共有する。
それは、家で一人でネットフリックスを見ているより、ずっと健全で、健康的で、青春だと僕は思っています。
街の中でノイズとして見られながら、その視線の中で自分を表現していく。
このホワイト化が進んだ社会の中で、クールにノイズを発信する若者は、やっぱり必要です。
ストリートも、パークも、どちらも必要
コンテストだけがスケートボードじゃない。
ストリートも、絶対に必要です。
ただし、警備員と喧嘩して炎上することがかっこいいとは思いません。
これからの時代は、忍者スタイル。
パークでしっかり練習して、ストリートではサクッと。
人に迷惑をかけず、必要以上に目立たず、それでもしっかりとかっこいい映像を残す。
「メイクしたい」という気持ちが先走るのも分かるし、怒られながらもトライしたくなる気持ちも痛いほど分かる。
でも今は時代が違うからこそ、スマートに、クールに、格好をつけてほしい。
スケートボードの本来持つかっこよさを、コンテストに限らず、ストリートでも。
そして何より、長く続けていってほしいと思っています。

